カントリーガールズ活動休止を受けてーカントリーガールズはなぜこうなったかの仮説ー

 私がハロプロに本格的にはまったのは2010年で、最初はbuonoとc-uteが好きだった。そこから段々とDDになっていったが、berryz工房c-uteの休止や解散については、もちろんそれなりの喪失感はあったものの、最初から見ていたわけではないので、そこまでの寂しさはなかった。

 しかし、カントリーガールズについては、結成時から見てきた上に、アイドル性も高く、更に、歌詞のように、困難や荒波に何度も見舞われながらも、けなげに自分たちのできることを、最善を尽くしてやろうとしていた態度に惹かれていたので、思い入れは一入で、今までの人生でこれほどのめりこんだアイドルはいなかった。

 だからこそ、やなみんの卒業、そしてグループ名は残るが、メンバーは活動休止し、もりとちだけがモーニング娘。に残る以外は、梨沙ちゃんのように芸能界からも引退したり、船っきのようにハロプロをやめ、芸能活動を休止したり、おぜこのように、芸能活動は続けるも、ハロプロからは卒業してしまうなど、4人がバラバラになってしまうということを聴き、その喪失感はとんでもなく深いものとなっている。

 今までのブログでも、何度も兼任体制からのことについては、考察してきたが、今回はカントリーガールズとしての歴史がとりあえず終わったという状況を踏まえて、カントリーガールズの歴史を説明したいと考える。

 

 なぜカントリーガールズが結成されたのかを考えるにあたっては、先になぜカントリー娘。を復活させようとしたのか、ということが問題となろう。2007年1月にあさみとみうなが卒業し、里田一人になる前にオーデションを行い、追加メンバーを入れるということをしていなかったのは、カントリー娘。を継続して活動させるという意図がなかったことを示している。そもそも、あさみとみうながいた時でも、モーニング娘。から客演者がいたぐらいであり、2004年以降はCD発売もなく、単独のユニットとして活動させる意図が弱かったことは明白であろう。

 

 2014年になって、カントリー娘。のオーデションが行われたのは、里田まいアメリカ行きということによる世間的な注目があってのことであるが、このオーデションで作るグループの目的は、里田の後継者としてテレビ界で活躍させるということであったのではないかと考えられる。

 しかし、このオーデションではメンバーが決まらなかった。その理由は事務所の予測に反して、北海道出身者で一定以上の水準の者が集まらなかったからであろう。そこでモーニング娘。のオーデション落選組と研修生の中で耳目を集めそうな者を選び、グループを作ったが、このままでは、事務所のこのグループに求めるテレビでの活躍は不可能である。

 そこで梃入れとして、berryz工房から卒業するが、単独でテレビにもよく出演し、アイドル活動をつづけたがっていたももちをプレーイングマネージャーとすることで、テレビでもよく取り上げられ、世間的に有名なアイドルである里田と嗣永という2人がプロデュースするグループ誕生という形で、テレビへの進出を図ろうとしたと考えられる。

 ももちがプレーイングマネージャーとなったのは、テレビ業界における振る舞い方をメンバーに継承させるためであり、彼女を媒体にして、テレビ業界への進出をもくろんだからである。

 こう考えると、カントリーガールズのアイドル性の高さが、同時期に作られた研修生中心のこぶしやつばきに比べて、最初から意図されて用意されていたことがわかる。マイナーデビューを経ずに、いきなりメジャーデビューをさせたのも、世間の耳目を集めるだけではなく、彼女たちがエリートであり、かつ、ももち卒業までの時間の制約があったからであろう。

 

 では、事務所のそういった目的達成の意欲が弱まり、方向が変わったのはなぜか。

 デビュー後は、マスメデイアの取り上げも増え、そして、いきなりうたちゃんフイーバーが起こり、幸先の良いスタートとなった。しかし、6月にはそのフイーバーの張本人である島村嬉唄が契約解除になってしまい、流れが続かなかった。更に、ももちものどのポリープで手術という風に、カントリー娘。の悪縁が蘇ってきたように受け止められた。しかし1周年には、ももちの復活とともに、やなみんとむすぶという、研修生の中のタレント性の高い二人を追加メンバーとして、参加させ、再出発を図った。トリプルA面シングルを出すという所にも、事務所の本気がうかがえた。

 しかし、その矢先に北海道とカントリーガールズをつなぐ媒体であった、唯一の北海道出身者であるまなかんが突如休業、そして卒業という事態が生じた。1年半もしないうちに、シングル曲を出すごとにメンバーの数が変わるということが繰り返された。更に、アンジュルムでも休業―卒業者が出てきた。縁起を担ぐ芸能界では、2度あることは3度目もあると信じられ、このままでは今度はハロプロ全体にも不幸が波及するのではないかと、おびえる気持ちが幹部たちに生まれてきた。

 折しもちょうどハロプロ20周年、モーニング娘。20周年を迎え、グループの更なる発展を期待する中で、この悪縁を断つために、カントリーガールズは、ももち卒業を契機に活動を縮小させていき、数年後には活動を終了させるという方向で、幹部の意志が決定されたのではないだろうか。

 一方で、タレント性の高い者を集め、更にももちによって鍛えられたがゆえに、傑出した能力を持つメンバー個々の力を、最大限、生かしていきたいという思いもあり、ももち卒業前にグループの兼任ーももち卒業後短期間で新しいグループに専任させる方向ーが企画された。

 

 ところがここで事務所に誤算が生じた。小関が学業優先のために兼任を断ったことである。恐らく、兼任するなら卒業するという意思を示したのではないかと考える。更に小関を守るために、かつ、他のメンバーが戻ってくる場を維持するために、山木もカントリー専任を望んだことである。ももちと5人は単なる仕事仲間ではなく、家族的な紐帯の強さを持っていたのである。ももちに卒業の花道を飾らせるためには、ももち卒業前にカントリーからこれ以上の卒業者を出させるわけにいかなかったため、事務所はやむなく、兼任体制をしばらく続けるということで、新体制を発表することになったと考えられる。

 とはいえ、恐らく兼任期間、専任期間はももち卒業後3年以内という時期は、最初に決められていたのではないかと考えられる。というのも、3年後にはカントリーガールズ結成五周年の節目となり、活動も一段落つくこと。そして山木は大学、小関も高校卒業となり、学業優先という理由が消滅し、カントリーを維持する必要がなくなるからである。そしてこの3年間の猶予の間にカントリー卒業後の身の振り方について、各自考えておくように、指示されたのではないだろうか。そうでないと、2019年にメンバー全員がカントリーを卒業する必然性などなかったと考えられる。

 

 さて、該当の2019年が近づく中で、最初に卒業を決めたのは、学業面でも能力の高いやなみんであった。彼女は進学の準備を早く始めるために、2019年の3月に、史上初めての2グループ共同での卒業ライブ、史上初めてのグループごとの卒業曲を提供され、非常に惜しまれつつ、笑顔で卒業していった。

 そして、やなみんの卒業を受け、メンバー各自も自分の卒業後の方向を明確に意識し始めた。山木嬢はハロプロで、アイドルとしての生活はもう十分堪能できたとして、もう一度ヲタクに戻るために芸能界を引退することを決め、もりとちはモーニング娘。に専念する。この二人は早くからそう決めていたと考えられる。時間がかかったのは若い二人であろう。

 おぜこは、カントリーガールの存在しないハロプロに執着する気持ちはないが、芸能活動に対してはまだやりきった感は無かったに違いない。だからもうしばらく芸能活動をしようと考えたのだろう。一方ふなっきは、やなみんとの関係もあり、やなみんに負けないために、何か一つ特化した専門分野を持ち、それを磨きたいと考えたのではないだろうか。芸能活動をしばらく休業というのも、2、3年専門分野を高めた上で、その後の人生を考えようというつもりがあるのではないかと考えられる。

 

 こうして、12月26日にカントリーガールズの現メンバーは、他のグループのメンバーからも惜しまれつつ、全員卒業した。

カントリーガールズの各メンバーの未来とももちイズムについて

  光の当たっているところの後ろには常に影があり、そしてその影に隠れていることのほうが、光の当たっている所よりは多い。そして光の部分だけ見ていては、物事の本当の姿は見えてこない。だから見えている部分同士を関係付けながら、影を推測しつつ、その全体像を構成しようとする。これが読むということだ。

 

 カントリーガールズは波乱万丈、紆余曲折がありすぎた。それが誰のどの程度の意図や偶然性によって生じたのかはわからないが、大きな節目は3回あったのではないかと考える。

 1番目がまなかんの休業から卒業、2番目がももちの卒業、そしてやなみんの卒業である。

まなかんの卒業では、嬉唄ちゃんの代わりにやなふなが入るような形での、新メンバー加入がなかった。そしてももちの卒業を機に兼任制となった。そしてやなみんの卒業で4人となり、スマイレージの初期を除けば、この人数に減少した上で、グループを継続する形は存在していなかった。

 

 こう考えると、まなかんの卒業の意味がいかに大きかったかということがわかる。おそらく彼女の卒業を契機に、スポンサーが降り、グループの縮小、解消への方針が定まったと考えられる。

 

 そしてももちの卒業は織り込み済みであったということを考えれば、兼任制あるいはカントリー専属は、5人が今後ハロプロや芸能界でどう生きていくかを考えさせる期間であったと考えることができる。言い換えるなら、ももち卒業から今までの期間は、事務所がグループ解消までの間に、5人に自立能力(新グループでの定着を含めて)を高めさせるための猶予期間として、事務所に用意されていたのかもしれない。

 つまり、兼任組はその新グループに溶け込むかもしくは自立の方向、そして残留組は学業を全うさせつつ新しい方向へと進んでいくための準備をさせる方向として、この2年間が与えられていたということである。

 そう考えれば最後の1年としての今年でやなみんを含め、全員の進路が確定するということは不自然なことではなくなる。また、山木さんがカレッジコスモス兼任といった、前代未聞な、別の事務所のグループに参加するといったことなどが生じたことも理解できる。

 

 そして、カントリーガールズ5人の進路は、全員異なる形になった。芸能界引退組が2人。山木さんは大卒で就職し、やなみんは大学を目指し、そこで学んだことで生きてゆく。芸能界休止組が1人で、ふなっきはダンスの勉強をして、その方面で頑張る。芸能界に残るのは2人。ちいちゃんはモーニング娘。で活動し、おぜこはハロプロの外で芸能活動を続ける。

 

 考えてみれば見事に進路が分かれた。この自立性こそがももちイズムといってもよいかもしれない。カントリーガールズは解散後の方向まで、ももちの精神を受け継いでいた。まったくもって見事な弟子たちであった。

 

 追伸 

原因不明だが、今までの「soramiの囁き」のブログが書き込みができなくなったので、こちらのブログで、今後は記事を上げていきたい。